鹿ヶ谷を経た池袋にて平成十九年の晩秋、「http://secretservice.blog.shinobi.jp/」のプレゼントより開局中。
大阪城の麓へは寝屋川と第二寝屋川(恩知川)と合流して、淀川の支流(大川)とも合流する地点に京橋はある。大川は淀川の毛馬を起点として南下し桜ノ宮や帝国ホテル大阪らを河岸に控え、天満橋や中之島など水の都の景観を担っている。
気になるのは第二寝屋川とされる名称だが、この上流にある恩知川は寝屋川とつながってもおり、そのあたりは住道(大東市)とされている。
また今の位置へと架け替える前の大和川は、恩知川の水域へ注がれていた。天下の台所とされる由縁…淀と大和との合流地点にあって河内の先端…京橋の当地はそういうところだ。
らより注がれている。
以下、レポート第二寝屋川を上り古くは水運の中継地ともされた徳庵を抜け、恩知川治水緑地より生駒山麓へ向かう。(アドプト…寝屋川)
●その他
●玉祖神社
旧くは郷社で、地域では高安大明神ともよばれる。
●奈良/信貴~柏原/河内国分(玉手山)~羽曳野/古市
…信貴フラワーロードへ経て県道236より府道183より大和川へと出て、河内国分より玉手山山を右手に駒ヶ谷まで南下した。
(ΦωΦ) 県道236←
→ 府道183
大和川へそそぐ石川の上流は葛城金剛の山地にあり、その石川をまたぐ竹内街道より羽曳野、古市へと入る。
●碓井八坂神社
銀屋前よりも北東のルートで古市へむかうと、海照光神を祀る位置に出た。清泉碓井に由来する地名であり、古くは威徳院の梵鐘は付近へ洪水の知らせ役目も担っていたそうだ。
現在も地域の御宅で碓型の井戸枠は保存されているとのこと。
●誉田御廟山古墳(応神陵/羽曳野市)
大仙古墳(仁徳陵)に次ぐ広さだが、35mもの高さによる体積143万㎥は最大規模
→廃仏毀釈になるまでは後円部頂上へ長野山護国寺の仏道も有り、神仏一体とされていた。
※応神天皇陵古墳外壕外堤の史跡指定は1991年
●大鳥塚古墳(藤井寺市)